坂口安吾の短編小説に「桜の森の満開の下」というのがある。桜の花が咲くと人々は・・・・・で始まる不思議な小説である。
その中に男が女を都に連れていくという場面がある。次のような場面だ。
それは桜の森でした。
二日か三日の後に森の満開が訪れようとしていました。今年こそ、彼は決意していました。桜の森の花ざかりのまんなかで、身動きもせずジッと坐っていてみせる。彼は毎日ひそかに桜の森へでかけて蕾(つぼみ)のふくらみをはかっていました。あと三日、彼は出発を急ぐ女に言いました。
「お前に支度の面倒があるものかね」と女は眉をよせました。「じらさないでおくれ。都が私をよんでいるのだよ」
「それでも約束があるからね」
「お前がかえ。この山奥に約束した誰がいるのさ」
「それは誰もいないけれども、ね。けれども、約束があるのだよ」
「それはマア珍しいことがあるものだねえ。誰もいなくって誰と約束するのだえ」
男は嘘がつけなくなりました。
「桜の花が咲くのだよ」
「桜の花と約束したのかえ」
「桜の花が咲くから、それを見てから出掛けなければならないのだよ」
「どういうわけで」
「桜の森の下へ行ってみなければならないからだよ」
「だから、なぜ行って見なければならないのよ」
「花が咲くからだよ」
「花が咲くから、なぜさ」
「花の下は冷めたい風がはりつめているからだよ」
「花の下にかえ」
「花の下は涯(はて)がないからだよ」
「花の下がかえ」
男は分らなくなってクシャクシャしました。
「私も花の下へ連れて行っておくれ」
「それは、だめだ」
男はキッパリ言いました。
「一人でなくちゃ、だめなんだ」
女は苦笑しました。
一人で花見をしてみた。自宅の近所にも桜が咲いている。一人でビールを持って桜の下に座ってみた。風が吹き、桜吹雪となった。不思議な世界だ。震災の影響で花見も自粛ムードである。いたしかたないが、せっかく1年間耐え、この時期に咲いた桜。愛でてやらねば、誉めてやらねば。夜同じ桜を見に行った。夜桜は別の顔を見せる。梶井基次郎の小説『桜の樹の下には』で「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!これは信じていいことなんだよ」といったのを思い出す。一人で花の下にいると怖いくらいだ。
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